調べ事をしていた時にたまたま見かけて、かなり前の記事ですがおおっと思ったので訳出しました。公式サイトに連載されてますWotC社員への質問と回答ですが、クリエイティブ・チームのとっても偉い人Brady Dommermuth氏による「悪役について」の興味深い回答です。
Wizards Asks: 4/6/2010
Daily Activity: 2010年4月10日
http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtg/daily/activity/422
あくまで英語力の低い筆者の勉強として訳してますので全くの誤訳や勘違いなども存在する可能性があります。もし見つけられた方はご教示くださると嬉しく思います。
ウィザードのお尋ね
質問:マジックであなたのお気に入りの悪役は誰ですか?マジック以外では?
回答:Brady Dommermuth
どれどれ、私にとってこれは引っ掛け問題です。私は悪役は好きではありません。しかし、わたしは敵役が大好きです。これが高潔にか高慢に聞こえるかもしれませんが、釈明しましょう。私にとって、悪役とは男爵髭を捻る紋切型のあれです。なぜそいつは悪いのかな? それは悪いってとっても気持ちいいからだ! ウェーハハハ! 一方、敵役はというと、主役に対抗し、主役が目標を達成するために戦うか克服しなければならない者です。敵対者は複雑で、共感的で、意欲的な特性を持っています。悪役は単に悪いだけです。
私が自分の主張のために誇張して言っていることは認めます。実際、これらの用語はほとんど同じ意味で使用されます。何故、語義論をやってるかですって?何故ならば私にとってマジック・ザ・ギャザリングがこんなにも素晴らしい理由は、マジックの物語がクライマックスの時、何もかもが善悪に帰するわけではないという事だからです。5つの道の争いはマジックの精神の要です。
もう一つ足止め。私はマジックのキャラクターと物語に風変わりな観点を持ちます。私はこの手でそれらを殆どつくり上げ、そしてこの頭のなかにそれらの明確な構想を持っています。しかし一度それらが私の手を離れて他の人々――フレイバー・テキスト作家、小説家、漫画家などなど――の手に渡った時、彼らは私のコンセプトを越えて変化させ、そして発展させます。なので時々、私のキャラクターに対する意見がプレイヤーや読者と異なるのは、私の意見はまあ、言わば旧式だからです。
オーケー、オーケー。問題をはぐらかすのを止める時です。今の所の私のお気に入りのマジックの悪役はテゼレットです。リリアナ・ヴェスと言いたいのですが、しかし彼女はそれほど悪役という人材ではありません。今のところは、まだ。テゼレットは強権的です。なぜならば彼は利口で、有能で、野心的でしたが……彼が望むものを手に入れるのにふさわしい程には決してなれませんでしたから。ある意味、彼は「もしジェイス・ベレレンがあらゆる誤った選択をしたならば、ジェイスはどうなり得たのか?」を体現しています。そしてある意味、私にとってそのことが彼をジェイスよりとにかく興味深くします。
私のお気に入りのマジック以外の悪役ですか? さあ、それは法外な質問です。私はジョーカー(バットマン)やイアーゴ(シェイクスピアのオセロ)と言ってしまいたいのですが、しかし彼らは本当の意味ではキャラクターというよりは――むしろ大地の怒りのようです。代わりに、アントニオ・サリエリ、ピーター・シェーファーの「アマデウス」の平凡な作曲家をあげます。その人格は良く描かれてます。彼の徹底した悪逆さと、それでもなお同時に共感的かつ人間的で、私にとって忘れがたく、どんな標準的な「悪の化身」よりもリアルでした。
(訳ここまで)
訳注
悪役:原文ではvillain、時代劇の悪役のようにとりあえず悪い(事になってる)
敵役:原文ではantagonist、敵対者とか拮抗する者という意味合いで必ずしも悪い訳じゃない
リリアナ・ヴェス:当時はもうPWコミック「ハンターとヴェール」「ヴェールの呪い」や小説「Agents of Artifice」も出ていたので十分悪人のような気もしないでもないが、一応は悪役ポジションではない…はず。
MTGの世界における「善悪」や「悪役」という概念においてなかなか洞察的な内容です。例えばイニストラードのようにたまたま一次元が善と悪の勢力に分かれることがあっても、必ずしも全てがその要素に終始するわけではなく、そして悪魔と契約した身勝手な人間であるリリアナの自分の都合だけの行為が皮肉にもイニストラードの「善」(と設定されている)の勢力を救うこととなってしまったりもします。
そして、キャラクターデベロップメントにおいては、完全にコントロール仕切っているわけでもなく、ある程度は自由度を持たせているということも判ります。
テゼレットについての「望むものを手に入れられる者になれることは決して無い」「道を誤ったジェイスがなり得たもの」という言及は、かなり興味深いものです。
テゼレットの恵まれない生い立ちと評価されないことへの苛立ちは、その野心を危険な領域にまで不相応に膨れ上がらせました。彼は才能ある工匠ですが、アーティファクト以外の分野においても素晴らしい魔道士というわけではないようです。一方、ジェイスは生まれつきの才能と限りない可能性に恵まれた魔道士ですが、彼の望みは知識の探求と贅沢な暮らしという自己満足的なもので、必要でなければ自分が住んでいる場所の政治にも殆ど関心を払わなかったくらいでした。テゼレットはそんな彼に、もっと自分の才能にふさわしい生き方をしろと、己がなれる者に、なるべき者になれと叱咤しました。「望むものを手に入れられる者には決してなれない」テゼレットが、ジェイスが望んでいない「なるべき者」になるように強要するのは皮肉めいているように思えます。
しかし、もし、ジェイスが「あらゆる誤った選択」をしていたならば…実際のテゼレットよりも酷い事になりそうですね。
Brady Dommermuth氏の「悪役」への好みは、MTGのどいつもこいつも一筋縄ではいかずに「マジックの名簿中で雄々しい英雄のプレインズウォーカー達の欄はとても短い」というキャラクター造型になかなかの影響を及ぼしているかもしれません。
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