Avacyn Restored - Descendants' Path - a Journey of Personal Healing
http://teresenielsen.typepad.com/the_world_of_terese_niels/2012/04/avacyn-restored-descendants-path-a-journey-of-personal-healing.html
あくまで英語力の低い筆者の勉強として訳してますので全くの誤訳や勘違いなども存在する可能性があります。もし見つけられた方はご教示くださると嬉しく思います。
アヴァシンの帰還 -末裔の道~内なる癒しの旅路
《末裔の道》は多くの人々の琴線に触れたようです、そして私はこれに取り組むのは思い掛けない転換であったと告白します。しかし私的な所を通例に無く明け透けに見せる前に、私はテーブルの上でいつものようにビジネスをしたいと思います。そして、興味があるならば下にある物語を追うことができます。
ここに私がマジック・ザ・ギャザリングのためにこのカードを割り当てられた時に与えられた仮題とアートの解説があります。
タイトル:「自然の系統/Natural Lineage」このような……複雑で、挑戦的で、怯むような仕事を受ける時、私はただ座りそして卒倒します。「うわあ……で、これをどうやって上手くこなしつつ、しかも愚かしく見えないようにするの? ……しかも、郵便切手くらいの大きさで……」
色:緑の呪文
場所:下記参照
アクション:これは歴史を通じて人間の家族の家系を象徴する抽象的な作品です。これは農民、羊飼い、そして土地と自然に関係する人々である自然主義者の家族です。軽く樹木に覆われた丘を通る田舎の曲がりくねって分岐した小道のそれぞれの分岐の端に、この家族の男性たち、女性たち、そして子供たちの小さな肖像画を見せるかもしれません。もっとも年上の家族の一員は「水平線」に近いかもしれません、そして手前は子供たちです。人々の大部分がいくらかの共通した身体的特徴を持っています(例えばウェーブやカールした髪、特徴的な半笑い、またはそばかす)。
焦点:歴史の包括的な意識
雰囲気:家族の遍歴を巡る旅
モルモン教徒の母と共に狂信的な家系と家族の遍歴(私が大いに敬意を払う)の中にある私の最初の幻視は見ることを望んでいなかったもの……枝々に小さな楕円型の肖像をそこら中に貼り付けられた樹でした。
けれどもそれらは最初から私と共に共鳴したたくさんの……遍歴的な根、樹でした。それらはこの惑星の生命を支え、その秘儀的な意味は殆ど全ての神話的な伝統の花形と(もしくは、少なくとも敢闘賞には)なる肢です……大地に働く人々です(私は農場で育ち、農民は父母双方の家系全体にいました)……時間、進化、季節、循環、最も新しい子孫に魂を吹き込み、「生命の種」によって光り輝き開花することを許され洗礼を施された全てのもの経過を……彼らの祖先がそうであったものとそうでなかったもの全ての後継者を表すために月の位相を使うことをすぐに思いつきました。
(ダ・ヴィンチによる生命の花スケッチ)
私が欲しがらなかったものを携えて、必要としたものを見出すのに役立つだろう参考資料に手を伸ばしました。最初に手に取ったのは「Heck's Pictorial Archive of Nature and Science」でした。私はダ・ヴィンチのスケッチブックにあるような、そして科学や自然やオカルトの年月を経た本に挟み込まれたような図解的なイラストに長年魅了されています。私はもっと深い知識と理解を仄めかし、何かがどのようにして働くのかを明示するかや全体の部分部分の関連性をいかに強調するかの象徴的表現の層を結合を愛しています。
それから私は何年も敬服しているお気に入りのイラストレーター……特に様々なコラージュ技法によって質感と意味の層を統合させることに優れている人々に向かいました。Fred Otnesはこれを見事に成し遂げます、そしてMark Englishは美しいデザイン、平面、様式的な意匠を柔らかで儚いリアリズムによって調和させます。
(影響を受けたもの)
彼らのアートブックにざっと目を通すことは、私が《末裔》をどのように構築したいかについて多くのインスピレーションを与えました。おそらくご存知のように、芸術に関する私の蔵書は多岐にわたっており、なおかつ私の最も大事な所有物の一つです。私にはウェブ上のjpegファイルでも同じ事とは思えません……まさにパレットの上の絵の具の匂いを嗅ぐように、そのページの匂いを嗅いでめくっていくのには何かがあります。それは私の瞑想的な禅の過程の一部です。ネットを捜し回らないとは言いません。ただ、通常には全てを本への私の密接な経験で始めて……時にはカプチーノを、時には赤ワインを共に。それらが秘密と最も深いインスピレーションを打ち明けるように、それらが欲しい物を与えなければならないのです。
そして、そう、ちょっとの間私の仕事を追っていた人たちには、グル・ランドや《銀皮の鎧/Silverskin Armor》などに類似した図解的な主題の使用に気付くでしょう。
それで……ここにそれら全てを一緒に入れたスケッチがあります。
(スケッチ。パーチメント紙のトレーシングペーパーに黒鉛書き)
MarkとFred、そしてクリムトのデザイン感性から探り当てたインスピレーションによって、作品はこのようになりました。
(オリジナル作品。ミクスドメディア:アクリル彩、油彩、色鉛筆、古い銅版画、葉脈、金銀箔)
・彼女の『物語』
まさしく深く根を下ろした樹が一冬の嵐を容易く乗り切るように、深い連帯感と家族の歴史を持つ人々はずっと力強く、そして粘り強い。
私の母の母、祖母のグウェンドリン・モウリツェン・ピッチャー(Gwendolyn Mouritsen Pitcher)の事を、私はずっと知りたがってました……何故かはよくわかりません。おそらくそれは、私と同じように彼女が双子であったのを知っていたからです。ただ、彼女の双子の兄弟は彼らが17歳の時に亡くなってました。おそらくそれは、彼女が私の母に音楽への深い愛を与えて、それが私の日常生活に染み渡りやがてDNAにまで書き加えたことを知っていたからです。おそらくそれは、彼女が正に私と同じく魚座だったからです。ただ、私はその当時には占星術の概念を持っていなかったのでそれは直感的な一致であったはずでしょう。私のニューロンがはっきりと引き出せる時点の思い出では、彼女は「老人ホーム」(*ぶるぶるっ*――私にとってその手の場所はいつでもゾッとさせられます)にいました。彼女についての最も鮮やかな私の記憶は、彼女に最後に会った時でした。
彼女は私達とお話をして、概して親切で感じが良く、そしてエンドウ豆を食べていました。私は痛ましいまでに内気で大人しかったので、彼女に注意したい何かに気づいた時にもすぐに声を大にして話すことができませんでした。彼女がエンドウ豆を飲み込んだ後、穏やかに私を見下ろして「さっきお前が話したがってたことはなんだい?」と言いました。びくびくしながら私は「えっと、単にスプーンのエンドウ豆に髪の毛が入ってたってだけなの」ともぐもぐ呟きました。一秒の間呆然として、「まあ今こそがそいつを私に話すいいタイミングだね!」と彼女は返し、私たちみんな大笑いし始めました。
だけど時には、望むものを得ません……少なくともその時は。彼女が死んだ時、私は五歳でした。彼女の人生の樹の葉は私たちの人生……来歴、記憶、そして充たされぬあこがれの土壌に降り積もり、長い年月にわたって堆肥として残されました。
しかしその間に、私は彼女のことを知らないのを気にしなかったと思います。遍歴への強い意識は人生のある特定の帰還において、慰めとなるよりも更に責めるように感じられることもあり得ます。
母方は農民で根っからの開拓者かつ平凡なモルモン教徒でした。信じ難い迫害、嘲笑と孤立にも関わらず己が信じたものに固執した、強くそして不屈の精神という文化遺産に私は由来します。彼らは野を渡り新しい場所……誰が彼らを呼んでいるのかを思い存分表現出来る、自身の良心に従って生きることの出来る場所で新規蒔き直しを図るために、彼らはしばしばすべてを犠牲にしました。
私は常にそれを誇りに思っています、そしてもし私が開拓すべき自分の平野を見つけていなかったのならば、おそらく皆が予想したように私もその後に続いたでしょう(私がどこからグル・ランドのインスピレーションを得たと思いますか?(ゝω・))。
私が恋に落ちた女性と人生を共に過せるように教会を離れると決めた時、それはもちろん家族制度にとってひどく嘆かわしいことでした……私は疎んぜられ、辱められ孤立しました。かつては私を育み、そして力を与えてくれた深い家族の歴史は、今では毒を含み息が詰まるように感じました……例えそうだとしても、もう遅すぎました……先祖の力は既に私の血肉となっており、引き返せませんでした。
不名誉の強調として、母は祖母の誕生日を記念する正にその日に破門された事で私を叱りました……どんな風にして私は彼女の思い出をわざと傷つけたでしょうか? それは結婚披露宴か赤ちゃん歓迎パーティーのような、私がどうにか計画を担当したイベントかのようでした。いいえ……教会のリーダーは彼らの都合で私を呼びつけて、家での日曜日の晩餐に遅れないように、公式に私の名前を教会の記録から除外しました。一方、私は公園に行き、両腕を広げ、とても、とても小さくなっていた鳥籠から放たれた鳥のように芝生を走り抜けました。
その時、私は全てのまともな支援の枠組みから外され、それを感じる方法も持たず、私の魂の片隅で、空想上の祖母の非難に取り憑かれました。
それは続きました……《末裔の道》に取り組むことを通して彼女をふいに召喚するまで。
(祖母と曾祖父の写真)
誰が私の共同創作に参加するのかについて思いを巡らし始めた時、彼女の顔が突然現れ出しました……彼女と彼女の父、私の曾祖父モウリッツ・モウリツェン(Mourits Mouritsen)。私はこの作品に彼ら両方を取り入れて、彼らを加える過程を楽しんで、私自身の遍歴への意識を重んじ、いかに壊れたかも問わず、そしてそれについてはなおさら本当に考えず。だけどグウェンドリンおばあちゃんはさらに多くのものを心にもたらしました。
見たところ彼女はこのマジックへの仕事が世界と世代の間をいくらか癒し、時間と宇宙の知覚された分離に逆らうものだと決めていました。
見えない世界の深淵から、堅実に見える大地の表層の下に、根を着実に水に、養分に、確固たるものに伸ばし、彼女は私が自分の人生を創造した事を誇りに思うと、そして私がそれを分ち合うことに決めた女性のことを承認すると、私に知らせる方法を見出しました。いつのまにか、何日にも渡って私はこの経験を反芻しました。私は要ることに気付かなかった細胞のくつろぎを与え、次の夏、蔓に新しい果実を結ぶであろう見込みをもたらすだろう養分が隅々まで運ばれていくのを感じました。
(生命の樹:製作中)
生命の樹……根源の泉からこれまでに達した人間性と生命の広がりの全てがその姿に……そして私たちの樹の葉が大地に落ちた後……太陽の下での長き栄光の時を私たちの枝で過ごし、もはや瑞々しい輝きの重みもなく、大地に落ち……それらは再び健全な新しい春を迎えることの出来る豊かで肥沃な土壌となって、去年より強靭な新しい生命の種を約束します……我々が覚えている限り……物語が私たちの一部となり、私たちの生命が熱と光そしてDNAの個々の偶然よりもずっと多くのものだと判っている限り。土地への、そして祖先の根源への繋がりはとても重要に思えます……多分それは同じ事です。
(訳ここまで)
訳注
モルモン教:アメリカ生まれのキリスト教系新宗教。詳しく述べると長くなるので、ここでは開拓者時代には連邦政府と対立関係にあったことと、同性愛を厳しく禁じていることだけ抑えておいてください。
Heck's Pictorial Archive of Nature and Science:J.G.Heck編による19世紀の星図、動植物、鉱物、化石、地質学、解剖学などのイラストレーション集。
パーチメント紙: トレーシングペーパーという点から、この場合のparchmentは羊皮紙ではなくこちらでしょう。
赤ちゃん歓迎パーティー:原文ではbaby shower。日本では馴染みはないが、アメリカでは近年盛んな習慣。出産前に友人たちが赤ちゃん用品を持ち寄ってパーティーをすること。
今まであまり氏の文章を読む機会がありませんでしたので、生命の樹、そこから伸びる枝や根、葉、そして花や実という形で文字通りの根=ルーツ(roots)、自身の人生、そして未来を語るマジックリアリズムとでも言うべき非常に比喩と幻視に満ちた文体には驚かされました。
そして一文が長い…!読んでいて係り受けが混乱しそうになった部分もありますので、もし意味が判りにくかったり間違っていましたら申し訳ありません。
氏が同性愛者だというのは知ってはいましたが、厳格なモルモン教徒の家系であること、それらによって家族と自分自身の人生の選択の間で苦悩したこと、家系という大きな流れから断ち切られた傷とその癒しの行程…一人の女性としてだけでなく家族の一員として、そして人生を共有する者を選んだ一人の人間として、この一枚の絵に驚くほどの物語が秘められていました。
正面にいるはにかんだ笑顔の少女は、彼女自身であり、祖母であり、母であり、そして家系に連なる過去と未来の誰かなのかもしれません。
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